いじめっ子を社会的に抹殺する会の会長のブログ

義務教育期間中のいじめと、ブラック企業に人生狂わされた昭和53年生まれの男のブログです。こんな世の中で子供を作れますか?自分の子供が同じ目にあったら?
いじめは犯罪。放置する教師も犯罪。ブラック企業も犯罪。罪は償うべき。そんなブログです。

具体的に

もし、当時法的な知識があれば、
例えば裁判を起こしたり、警察に被害届を出したりしただろうか。


子供時代のいじめの時は、親にも相談しなかったというから、
きっと外部に助けを求めることはできなかっただろう。


なぜ相談しなかったか。


それは学校、地域のような小さなコミュニティが全てだと思っていたからで、全く愚かな考え方だ。


誰かに助けを求めることで、そこで生きることができなくなると思っていたからだ。


実際には、そんな小さな世界はほんの一部で、捨ててしまってかまわなかった。


大人になってからのパワハラも全く同じだ。


一つの会社で、その業界で、生き続けたいと願ったことが間違いで、本当はそんな必要はどこにもなかった。


結論的には、知識があろうとなかろうと、やるべきことをやる人はやるんだろう。


だからもし、次に尊厳を踏みにじられるようなことがあれば、あらゆる手を使って徹底抗戦するんだろう。


何もしないんだったら死んだほうがマシだど思うからだ。



でも、そういう気概や態度、心構えをしているということは、外ににじみ出るらしく、社会で生きづらい環境を作り出すのもまた事実。


いざという時にしか刀を抜かない。そんな生き方ができるようになるのはいつの日か。

社会に出ても

ある時、とても小さな会社だったけれども、好きになれる仕事に巡り会えた。
僕は、居場所を見つけたようで、必死に頑張り、結果もついてきた。


ある時、会社オーナーの旧知の人間が役員として入ってきた。当時、僕は会社で一番の売り上げを上げていて、役員会議にも出席させていただいていた。


彼は、会社を根本的に変えようとした。会社には負債があり、焦げ付いたものもあった。あの手この手を使い、当時の社長に3000万円の消費貸借契約を書かせ、会社を追い出した。


僕は、会社が借りている不動産物件の連帯保証人に個人としてハンコを押させられた。


なぜ逆らえなかったのか、逃げなかったのか


怖かったからだ。


普段からヤクザ付き合いがあることを標榜していた。



ある日、言われた。


「親兄弟はかわいそうだから、女房、子供は全部殺す」と。


今思うと犯罪そのものだったけれど、当時は、逃げたら身内に迷惑がかかると思っていた。


当時、彼は45を過ぎていただろう。これをいじめというのかどうかはわからないが、こういう人は、きっと死ぬまでこういう人なんだろう。

紙やすり

おでこを紙やすりで削られていた。
数人で押さえつけられて、動けないようにされ、血が滲むまでやられた。


さすがに教師が気づいて「なんだその傷は」と言った。
僕は、誰にやられましたなんて言えず(言ったらもっと痛い目にあうから)黙っていた。が、思わず泣いてしまった。


クラスには40人位の人間がいる。僕傷つけたのは5人。僕を抜いて34人が誰がやったか知っている。だけど言わない。


僕は39人に傷つけれたのと同じだ。


後日、わざと先生に気づかれるようにした、ということらしく、僕のいないところで僕の教科書が引き裂かれ、「死ね」と書いてあった。


卒業写真には39人が神妙な顔をしたり、笑ったりして映っている。
僕は言いたい。よく人間の顔をしていられるな、と。


でも不思議なんだ。誰一人、見つけられないんだ。